東北大震災 郡山市民の視点 本文へジャンプ
被災生活の状況[報告者:キヨノ ken_chaos@yahoo.co.jp] ツイートする
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2011年04月30日(土)
校庭の汚染土はどこへいくのか
 郡山市では幼稚園,保育所,小学校,中学校の表土除去が着々と完了している.市内を車で走っているとあちらこちらで,作業風景を目にする.それは,私が比較的汚染が高い地域に住んでいるということもある.昨日は家の前の中学校で除去作業があった.
 しかし,問題は除去された汚染土をどこで処分するかだ.国や東電がなんとかしてくれればいいが,いい返事はなかなか聞けそうにない.
 汚染土を山盛りにして,運動場の片隅に置くと,その近く線量が高くなってしまうので,一時的に運動場に埋めた方がましな気もする.地下水への浸み出しが怖ければ,紺青(こんじょう)を土に混ぜて埋めるというのはどうだろうか.私は汚染処理は素人なので,何がいいのかはわからない.詳しい方は市へのアドバイスをお願いしたい.

2011年04月29日(金)
内閣官房参与が抗議の辞任(報道メモ)
 報道によると内閣官房参与の小佐古敏荘東京大教授は、菅直人首相あての辞表を首相官邸に提出。「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は原子力発電所の放射線業務従事者でも極めて少ない。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と主張したそうだ。

2011年04月27日(水)
文科省が線量マップを公表(これ

 やっと文科省が中通りの汚染状況を公式に発表.前日に発表になったSPEEDIの予測(これ)が重要な間違いを起こしていることがわかる.つまり,中通りへの拡散がSPEEDIでは予測されていない.結局は,3月15日の誤差が影響しているのだと思う.福島県災害対策本部が4月8日に小中学校の放射線モニタリングを発表するまで,私はSPEEDIの結果に,だまされていた.
 郡山市の中心部でも年間の積算線量が10mSvを超える地域がある.しかし,20mSvを超える地域はない.この結果は,土の地面上の線量を考慮してあるのか疑問(おそらくしていない).なぜなら,学校や公園で20mSvを超えることと矛盾するから.
 家や道路の除染方法についても,考えなければ.

薫小学校の表土除去作業始まる
 出勤前に薫小学校へ.朝9時前,複数の重機があり,学校校庭で表土除去の準備がすすめられていた.車の中から作業風景を見てから出勤.

2011年04月25日(月)
郡山市長が校庭・所庭の表土の除去を発表(報道メモ)
 郡山市が校庭・所庭の表土の除去を開始することを発表.先週から,郡山市職員のやる気を感じていたが,こんなに早く着手してくれるとは.英断に感謝.私の胸の重しがずいぶんと軽くなった.法的な部分についてはいぜんグレーな感じはするが,公共機関が判断を示したことで,私のような個人レベルでも取り組みやすくなったと思う.
 勝手な提案で申し訳ないが次は予防策として,校庭・園庭の可能な部分をシートで覆う取り組みもお願いしたい.これは,
(1) 汚染土除去前に,放射性物質を含んだ土埃が舞い上がるのを防ぐ効果,
(2) 学童児童が通行時に靴に不用な土や泥が付かないようにする効果,
(3) 外部からの放射性物質の再流入を防ぐ効果
がある.今回の取り組みが早すぎるとの批判があるが,予防策と併用すればまったくその批判は当てはまらない.
 土の除去は,重労働であり多くの費用がかかるが,シートを使った予防は,特に保育園,幼稚園では必要ではないか.

2011年04月24日(日)
今、福島県民に必要なものは希望の光である
 福島県民は、放射能汚染の見えない恐怖で未来がとざされたような気持ちになっているのではないか。今、私たちに必要なものは、希望の光だと思う。自ら動かなければ、自ら光を消してしまうことになる。そう思い、福島のすべての学校の運動場が、原発事故前の状態に戻れるよう活動していきたいと考えはじめた。はじめは、スコップを使った作業になるかもしれない。

 「福島のみなさん、どうか失望の闇に迷い込まないでください。」

学校校庭の放射能汚染除去は、校庭放射能レベルが非常に危険だからおこなうのではない。どちらかというと,安心を取り戻すため。例えるなら,野菜を作るときに、無農薬で取り組むといった話に近い。無農薬でなくとも、基準以下の量の農薬の使用は安全だと考えられている。

希望を失わず、できることやる。これが大切だと思う。以下の拙文も、わたしがみなさんにお伝えしたいメッセージ。

「リスクはなくならない、リスクと正しく向き合おう」
― 原発のリスク管理の失敗を繰り返さないために ―

 震災の6、7年前の統計データをみると、日本人男性の2人に1人、女性の3人に1人ががんになり、日本人の3人に1人ががんで死亡しています。がん発生と関係の深い要因は、タバコの喫煙、塩分の取りすぎ、運動不足など、さまざまな事柄があります。

 がん発生の危険性(リスク)を、0から1までの数値であらわすことを考えます。この数値は目安であって、リスクの数値が高く0.7の人が絶対にがんになるわけではありません。一方で、0.3くらいで低い人がまったくがんにならないわけでもありません。

 多くの人々は、がん発生のリスクとうまく付き合っています。タバコの喫煙本数を減らしたり、おいしいラーメン屋でスープを飲み干すのを我慢したり、ウォーキングをしたりして、健康に気を使うことで、がんのリスクを減らす努力をしています。とはいえ、リスクを減少させるためにいくら努力しても、がん発生のリスクがゼロになることはありません。

 リスクは、がんなどの病気についてだけではなく、今回の原発事故のように、原子炉制御のための電源がすべて使えなくなる危険性の評価にも使えます。再度断っておきますが、数字はあくまで目安です。たとえば、原発事故の前、100年間に今回のような事故が起こるリスクを、0.0002くらいと推測した人がいるとします(この値はでたらめなので信じないでください)。それを聞いた別の人が、0.01を基準として、それ以下は安全と言うことにしようと決めると、そのリスクと向き合うことがなくなってしまいます。一方で、この小さな値をみて、「危険だ!危険だ!」と誰かがいうと、多くの人々は心配になるし、原発関係者は、「安全です」とキッパリいいたくなってしまいます。

 私はこのような「安全」、「危険」で線引きするリスク管理は危険だということを、今回の原発事故で思い知らされました。リスクを下げるためにできる努力は続けるべきだということです。基準を作ってもリスクはゼロにはできないのです。

 さて、国際放射線防護委員会のルールを使って、郡山に住む私が浴びる放射線の量で、がんになるリスクが、0.0002だけ増えると見積もれたとします。やはり基準を決めて、それ以下はリスクと向き合う必要がないと決めることが良いのでしょうか。確かに、このリスクは非常に小さく、喫煙などのがん発生と比べれば、まったく深刻な影響とは思えません。しかし、リスクはゼロとは誰もいえないのです。また、過度に放射線のリスクばかりを怖がり、その減少に固執すると、他の病気のリスクや生活の質を悪化させるリスクが極端に増えてしまします。

 我々の人生には多種多様なリスクがあります。それらのリスクと向き合い、総合的にリスクを減らすための努力をする。それが、リスクとの正しい付き合い方ではないでしょうか。 
確率論リスク分析についての文献紹介

2011年04月21日(木)
3月15日の放射性物質の拡散状況
 国はなぜ放射性物質の拡散の情報を公開しないのだろうか.下の図は,SPEEDIのような予測値ではない.福島県災害対策本部が公表している小中学校の校庭での放射線量の測定結果(4月8日発表)を地図中にまとめたもの.図中には576箇所の測定地点が含まれており,測定地点のない部分は点を面でつないで描かれている.この結果は,小中学校の運動場という測定条件がある程度そろえられていることが期待できるので,放射性物質の拡散の足跡を見る上では,参考になる結果だ.測定日のバラつきも,土壌中のセシウムの割合が半分以上あると考えられるので,無視できるレベル.
 現在,中通りを中心として見られる放射線量の高い地域は,3月15日に拡散した放射性物質が土壌表面近くに含まれている地点と考えられる.県が発表しているデータを見る限り,その後に大量放出があった形跡はみられない.
 なぜ,郡山市においても学校や公園の放射線量が高いのか?それは,中通を通って拡散した放射性物質が地中に比較的多く含まれるから,と考えるのが自然だろう.この問題は,学校だけの問題ではなく,一般家庭の土壌についても同様であると思う.健康リスクが非常に低いことは確か.とはいえ,受ける放射線量は低ければ低いほど良いという考え方が主流であるので無視することはできない.なのに,誰もこのことに触れようとしない.
 今日から,このホームページでは,学校校庭の土壌の放射能汚染の問題を中心に扱う.こんな状況は望んでいなかったが,大きな敵と戦わなければならないかもしれない(学校の土壌汚染の問題についてのコメント).子供たちのために力を貸してほしい.安心,安全な福島の復興に協力してほしい.
 私は国や東電に文句を言い続ける戦いは望んでいない.福島県のすべての学校の運動場を,地震前の状況に戻したい.まずは,ショベルを使ってでもはじめたい.

地震保険の判定結果
 今朝,地震保険のスタッフが我が家の損傷具合の確認に来た.夕方に,そのスタッフから電話があり,結果は「一部損壊」.多少の保険料が支払われるそうだ.
 しかし,修理で深刻なのはマンション共用部.てっきり地震保険に入っていると思っていたが,無保険といううわさも.

2011年04月19日(火)
小学校の参観日
 息子の小学校の授業参観へ。小学校の中に入るのは、地震後の避難生活以来。廊下には長崎の小学生からの応援メッセージが展示されていた。

地震保険会社から電話
 以前、電話で問い合わせてから今まで一度も連絡がなかった、地震保険の会社から電話があった。明後日、自宅を見に来るとのこと。

文科省が学校での被ばく線量を示す
 文科省が年間で20ミリシーベルトの積算放射線量を基準として、学校校庭の放射線量率の基準を示した。原子力安全委員会の委員長代理は「校庭に8時間いることはなく、かなり安全側に評価した値だ」と語ったそうだが、私は運動会のできない校庭はいやだ。もちろん、委員長代理の言葉は「毎日8時間」という意味であることはわかる。
 このまま、校庭の土壌汚染は放置されるのだろうか。望みを捨てず、県の教育委員会の対応に期待したい。みなさんも、各機関への働きかけをお願いしたい。私は、明日、マスメディアの方とこの問題を議論する予定。メディアも、ある程度大きな問題として扱ってくれることを期待したい。

2011年04月18日(月)
学校運動場の土壌汚染
 これまで福島県が発表した放射線量の測定結果から示唆されることは、郡山駅前西側中心部の小中学校の校庭の土壌放射能は、セシウムだけを見ても5000ベクレル/Kgを超えており、一部の学校では1万ベクレル/Kg程度あることが予想される。国の方針ではコメの作付け制限の基準が、5000ベクレル/Kg。これと比較すれば、このまま子供たちが運動場を利用しても安全かどうかが心配になる。
 下の図は,県の小・中学校のモニタリング調査に基づき郡山市での放射性物質の拡散の状況を予想した図。これまで県から発表された環境放射能の測定値の多くは,アスファルトなどで舗装された地面上で測定されたもの。このような舗装された地面上の測定値は、土の地面に比べ半分以下の小さな値になる。つまり,土の地面では県の発表よりも2倍以上高い放射線量ということ。放射性物質の拡散の状況を知るためには、運動場のように環境が似た場所で測定された結果を比較する必要があると思う。
 左下の図は,学校の校庭約100地点で測定された地上から1cmの高さの放射線量率を使って作成したもの。学校のない地点は,数学的な処理によって予想される値。私の予想では,15日に原発から放出された大量の放射性物質は,飯館村方向に風で流された後に,中通の盆地を通り,福島市,二本松市,本宮市,郡山市に降り注いだ。結果として,郡山市中心部に比較的放射線量の高い領域(図中の赤い部分)が形成されたのだと思う。
 真ん中の図は,郡山市の中心部を拡大した結果。右は、県内20校で測定された土壌放射能の結果をモデルとして、郡山市中心部の土壌に含まれるセシウムの量を推定したもの。郡山第一中学校,郡山第三中学校,薫小学校を含む領域の土壌放射能が高く、市の中心部では多くの学校で、5000ベクレル/Kgを超える土壌汚染があると予想される。
 小学校からの説明では,4月中は校庭は使用しないという。しかし、セシウム137の半減期は30年、セシウム134の半減期は2年。ということは,長い期間,土壌の汚染はこのまま.国際的な機関が定める放射線の被ばく許容量が、かなり安全側に余白をとった厳しいものということは認める。しかし、公的に定めた基準であるので、国も、県も子供たちを守るように対処してほしい。
【注意】 下の図は、あくまで土壌中の放射性物質を考えるための資料で、空気中の放射性物質の量とは無関係。私は、空気中には恐れるほどの放射性物質はないと考えている。これは、福島第一原発の敷地内でも同様。

2011年04月17日(日)
郡山のさくらが見ごろ
 日中、家族で買い物へ。さくら通りを車で走ると、満開のさくら(上段の写真)。花見の人通りは例年に比べれば少なく感じる。さくら通り沿いの、回転ずし店と市役所ペントハウスの解体工事が続けられている(下段の写真)。
 午後、西ノ内のゼビオへ行く。エスカレーターが使用不可能で、階段には鉄パイプでの補強が施してある。イトーヨーカドーからの2階の連絡通路も使用不可能。隣のイトーヨーカドーの被害はそれほど見られないが、ゼビオがある建物のほうが地震の被害が大きかったのかもしれない。とはいえ、ケーズデンキとゼビオの店内には地震の被害がほとんど見られない。
東電が原発事故の収束に向けたロードマップを示す
 東京電力が福島第一原発の状況の改善に向けた予定を発表。とりあえず年内には何とかします、という気持ちを伝えたいのだろうが、本当になんとかなるのか心配。

2011年04月16日(土)
換気のための給気口フィルターの紹介(その2)
 数日前にインターネットで注文していた給気口フィルターが届く。これは、昨日紹介したフィルターとは別物で、「給気口フィルター・エリア」というもの。お値段はやや高めで、本体の定価が2887円。交換用のフィルターは、1枚当たり180円程度(アレルゲンタンパク
無害化フィルターは260円程度)。
 この新しいフィルターも付けてみた(写真参照)。我が家の給気口のサイズでは、「エリア100」で問題なく取り付けられた。給気口に張り付けるタイプで、給気の流れを横方向に変えられるのが良いと思った。

これが「エリア」

エリアの中身

取り付け前

まず、枠を両面テープで張る

フィルター部分をはめて完成

原子力安全・保安院の広報課へ電話
 郡山市の放射能土壌汚染の状況を確認し、改善の要望をするために原子力安全・保安院の広報課へ電話。現状の認識について確認したことは、「環境放射能の減少は非常にゆっくりであり、各地で測定される放射線量はほとんど変化しないこと」と「アスファルトなどの地面に比べて、土の地面のほうが2倍以上放射線量が高いこと」の2点。
 また、郡山市の中心部では運動場の土壌に含まれる放射性物質が多いため、汚染除去について検討してもらえるよう頼んだ。福島県が発表している測定結果を総合的に見て検討すると、おそらく、郡山市中心部のいくつかの学校では、運動場の土に含まれる放射性物質は、セシウムだけ見ても、1キログラム当たり1万ベクレル程度あるだろう。ちなみに、農地の作付け制限の基準は1キログラム当たり5千ベクレルだそうだ。目的が違うので単純には比較できないが、小さな子どもたちへの影響が心配になる。
 要望を伝えてもらう約束はしたが、すぐには対応できないだろうということだった。なぜなら、「原子炉が冷温停止するまでは、さらなる放射能漏れの危険性があるため、小手先の対応が無駄になるかもしれない」ということ。「確かにそうだ」と、納得する部分もあるが、運動場汚染の問題を放置するわけにはいかない。

2011年04月15日(金)
「子どもは半分」、文科相が否定
 福島県内の学校の安全基準をめぐり、4/13に原子力安全委員会の代谷誠治委員が「成人の半分に当たる年10ミリシーベルト以下の被ばくに抑えるべきだ」と述べたことを受け、高木義明文部科学相は15日の閣議後会見で「委員の発言は、安全委全体の見解ではない。目標は20ミリシーベルトで、(基準厳格化により)学校を頻繁に移動させることはできない」と話し、考慮の対象としない考えを示した。

換気のための給気口フィルターの紹介
 放射性物質が部屋に入ってくるのを恐れてまったく換気をしないというのも、健康に良くないと思い、我が家ではときどき換気している。住宅建材の化学物質やカビも健康に悪影響があるので、通常であれば換気は重要。そのため、最近のマンションや家には24時間換気がついている。
 換気扇のスイッチを切り、部屋の給気口を閉じていても、風や気圧差の影響で排気口から風が入ってきてしまうので、結局は外の空気が室内に入ってくる。それに、まったく外の空気が入ってこないなら、酸欠で死んでしまう。
 我が家では、以前から花粉や排気ガスの細かいちりが部屋に入ってこないように、給気口に簡単なフィルターを付けている。このフィルターが空気中の放射性物質の侵入を防いでくれるかどうかはわからない。しかし、放射能汚染された運動場の土埃はある程度防いでくれると思う。
 私は企業のまわし者ではないが、我が家で使っているのは「ビーワン給気口フィルター」(使い方は下の写真)。一枚90円と安いところが気に入っている。インターネット販売で買え、まとめ買いするとさらに安くなる。2、3カ月使うとフィルターが結構汚れているので、多少は役立っているのだろう。効果があるかどうかは、まったくわからないが、原発の事故後は2重にして使っている。

これが「ビーワン給気口フィルター」

このような給気口に取り付ける

給気口のふたを回して外し

裏にフィルターを付ける

真ん中に十字の切れ込みを入れて

セロテープで張り、元に戻す

我が家では85mmと135mmサイズを使用

ザ・モール郡山食品館が再開
 近所のザ・モール郡山は大地震直後の一時、お店の外で商品を販売していたこともあったようだが、今まで一カ月近く閉店のままだった。そのモールが、今日から営業再開。朝9時のオープン後、さっそく買い物へ行った。まだ、食品売場のみの営業だが、震災前の日常に戻ったようで気持ちになった。

2011年04月14日(木)
緊急地震速報機
 大きな余震が何度もあったので念のためと思い、一昨日、緊急地震速報機(下の写真)を買い、自宅に設置した。この装置は、ラジオを常に無音で受信し、ラジオから緊急地震速報のアラームが「キンコーン、キンコーン」と鳴ったらそれを感知し、音量を自動的に上げる仕組みになっている。
 今朝は7時前に、この緊急地震速報で起こされた。布団の中で、どんなゆれが来るのかと待ったが、ほとんどゆれは感じず。夜の8時ごろにも鳴ったが、またくゆれは感じなかった。せっかく買ったのだから、毎日、「緊急地震速報です。」というアナウンスを聞き、装置がきちんと働いていることを感じると、悪い気はしない。
 テレビの解説では、どこかで震度5以上のゆれがあると予想されるときに、速報が自動的に出ると言っていた。しかし、実際には震度3程度でも速報が出ている。最近は、浜通りが震源の地震が多いので、内陸の直下型の地震では、ゆれが大きく見積もられすぎているのかもしてない。

気温が20度を超え、たくさんのさくらの花が
 今日の日中はとても温かく、気温は21度に。午後6時半、家に帰ろうと駐車場へ向かうと、さくらの花がたくさん咲いていることに気づく(下の写真)。ついに郡山でも、本格的なさくらの開花がはじまった。
建物の修理がはじまる
 大学の研究室にいると、廊下にヘルメットをかぶった見知らぬ作業員風の人が見える。壁を叩いて、何か検査している。廊下に出てみると、壁のいたるところに番号を書いたテープが張られている(左下の写真)。私の研究室のある建物の内部の壁やタイルは、ひびだらけ。大地震の直後は倒壊するのかもと怖くなったが、慣れればこの程度のひび大したことないなと思える。
 とはいえ,修理できるなら修理したほうが良い。

2011年04月13日(水)
学校の安全基準、「大人の半分(年10ミリシーベルト)」が目安
 
原子力安全委員会の代谷誠治委員は13日記者会見.文部科学省が作成を進めている福島県内の学校の安全基準について、大気中の放射線量が年10ミリシーベルトを下回ることを目指すべきだとの見解を示す.住民に避難を求める「計画的避難区域」の基準は年20ミリシーベルトだが、子どもは放射性物質の影響を受けやすい上、成人より内部被ばくの恐れが大きいことを考慮し、より厳しい基準が望ましいとした。
 代谷委員は「子どもが土の上で遊んでほこりを吸い込み、(放射性物質が)甲状腺に行く可能性があることを含めて判断するよう、文科省に伝えた」と述べた。

郡山駅構内はほぼ復旧
 仕事前に、郡山駅の構内の様子を見に行った。落下していた天井パネルはきれいになおされている。ただし、駅内の案内表示のパネルは一部外れたまま。昨日から、再開した新幹線改札は地震前と変わらないが、乗客は少ない。売店も営業中。

横向きの案内パネルがない

新幹線改札

県が小学校の大気と土壌検査の結果を発表

 福島県災害対策本部が、県内の小学校20校で測定した大気と土壌の放射能の測定結果を発表した(これ)。今回の結果は、私が見たかった結果の一つ。これまでの私の予想がある程度確かめられた。
 それは、「放射線源として、セシウムの量がヨウ素よりも多くなっていること」と「放射性物質は空気中ではなく、ほとんどが地面や土壌についていること」の2つ。
 私は郡山駅の西側に住んでいるので、家に近い郡山市立金透小学校の結果に注目してみると、土の中には、やはりセシウム137の割合が多い。
 セシウム137は、3106 Bq/Kg
 セシウム134は、2648 Bq/Kg
 ヨウ素131は、3096 Bq/Kg。

 セシウム134も137と同程度にあり、合計で5754 Bq/Kg。ヨウ素131もあるが、今後、ヨウ素131は半減期8日で急速に減っていくので、厄介なのは半減期30年のセシウム137と半減期2年のセシウム134だ。このままでは、セシウムが小学校の運動場の土に長く居座り、我々保護者を悩ませ続けるだろう。
 一方、空気中で観測されたのは、微量なヨウ素131のみで、セシウムは検出されていない。この空気を1時間吸い続け、吸った放射性物質をすべて体にとり込んだとしても、その影響は、0.02マイクロシーベルト程度[1]。この量は、8日たてば半分程度になるし、実際には空気中の放射性物質がすべて体にとりこまれるわけではないので、さらに値は小さくなる。
 土を積極的に食べる人はいないが、子どもたちが遊ぶ運動場では口に入らないとは限らないので心配。土埃が舞えば、空気中の放射性物質の量も増えてしまう。国でも、県でも、市でもいいので、運動場の土壌汚染をなんとかしてほしい。何とかならなければ、我々保護者で土を換えるしかないかもしれない。
[1] 私の概算結果。使った値:大気中のヨウ素131は2.0Bq/立法メートル。1回の呼吸で500ml空気を吸い、呼吸の周期は4秒。ヨウ素131の実効線量係数(経口摂取)0.022マイクロシーメルト/Bq。
 
2011年04月12日(火)
走る新幹線を目撃
 午後7時まえに帰宅の途中、新幹線が目の前を横切る。地震後、新幹線は郡山駅で停車したままだったが、やっと東京-福島間の新幹線の運転が再開。

走る新幹線

またまた、大きな余震
 午後2時すぎに、郡山市で震度5を超える地震。突き上げるような振動から、すぐに大きなゆれを感じるように。本棚から本は落下しなかったが、さすがに3回も震度5を超える地震があると、棚の本が数センチほど前に動いている。地震後、すべての本を棚の奥に押し込む。
 この前の大きな余震で図書館の本が再び落下したそうだ。図書館再開までには、まだまだ試練は続く。

原発事故レベル7に
 原発の放射能漏れ事故の深刻度のレベルが7に。これで、"Fukushima"が世界的な知名度になったに違いない。結局、我々が入手可能なデータからも予想されたように、15日の放射性物質の大量放出が大きな問題だった。
 郡山市では、小中学校、幼稚園、保育園などの運動場の放射線量が測定されている(これ)。土のグランド上の放射線量は、駐車場などで測定されている値より、やや高め。地面から1cmと1mの高さで測定された値を比べると、1cmのほうがかなり高い。
 福島県から発表されている環境放射能の測定値の変動をみると、減少の速度がかなり遅くなっている。個人的な予想では、現在、放射線を出している大部分はセシウム137だと思う。最初はヨウ素131が多かったが、現在の主役はセシウムだろう。このセシウムが、土の比較的浅い部分(地面から10cm程度下まで)にとどまっているのではないだろうか。IAEAがまとめた、チェルノブイリの報告書を見ると、原発から放出されたセシウムは地面の比較的浅い部分にたまっていたことがわかる。雨が降っても土がフィルターの役目をして、セシウムを吸着してしまうのかもしれない。セシウム137の半減期は30年。今のペースで環境放射能が減少するとすると、我々郡山市民には、かなりの忍耐力が必要になる。
 子どもたちへの害を少しでも軽減するために、運動場の土壌を削りとり、他の地域の土で運動場を覆ってほしいと思う。郡山市では、4月いっぱい運動場で子どもたちを遊ばせないとの説明を受けたが、そんな短期間では事態は改善しないだろう。東京電力の保障でなんとかならないのだろうか。これは、本当にお願いしたい。

2011年04月11日(月)
大きな余震発生(浜通りで震度6弱、郡山震度5弱)
 17時16分、6階の研究室にいると大きなゆれ。最初、縦ゆれを感じ、すぐにガタガタと音が鳴る大きなゆれに。本棚が前後にゆれ、倒れるかもしれないと感じる。本が、また、落下するのは嫌だと思い、手で押さえようかと一瞬考えるが、危険だと思い直す。しばらく、机のわきで待機。ゆれは30秒か1分弱で収まる。棚や机から落下したものはわずか。
 固定電話で家にかけると、妻につながる。子どもたちも無事だが、娘が泣いているという。今日の仕事は切り上げて、家に帰ることに。道路は渋滞気味(写真左)。車のテレビから原発の外部電源が落ちたというニュースが(しばらくして復旧)。途中、消防車か、救急車のサイレンが聞こえる。4号線沿いに、柱の砕けかけたビルを見かけるが、がれきがないので、今回の地震での被害はないようす(写真右)。
 その後も、震度4程度の余震が何度か発生。ときどき、遠くからサイレンが聞こえる。

4号線と文化通りとの交差点近く

柱の鉄骨がむき出しになったビル

小学校始業式
 大地震から1か月。先月11日からずっと休みだった小学校が今日から再開。通常通りの時間に、息子と一緒に小学校まで歩く。第二中学校の正門の崩れた門柱が撤去されている。小学校前の交差点には警察官の姿。
 家から学校までは200mほどだが、その間、小学生の姿はわずか。しかし、小学校のげた箱にはたくさんの靴が収まっている。もしかして開始時間を間違えたかと思ったが、今日はみんな早く登校したもよう。再会の喜びだけでなく、クラス替えも心配だったのだろう。
 息子の4年生のクラスの発表は、明日とのこと。今日は3年生のときと同じクラス編成。

2011年04月10日(日)
金魚たちは無事
 7日夜に大きな余震があったので、家の状態が心配だったが、家の中では何も落ちたりしていなかった。もっとも心配した魚たちの水槽もすべて無事。

午後7時前郡山到着
 北陸道も、磐越道もまったく渋滞なし。磐越道は、新潟方面のほうが多くの車列が見られる。

2011年04月09日(土)
福井で一泊
 午後、郡山へ向け出発。さすがに、夜通し走る体力に自信がないので、福井で一泊することに。

2011年04月08日(金)
夜の9時に手術が終了

 午後1時30分から手術がはじまる。3時間以上かかると、事前に言われたが、終わったのは午後9時。7時間以上かかったが手術は無事終了。遅くなったので、病院の近くのホテルに宿泊。
午前4時過ぎに岡山に到着
 片道900キロメートルを車で走り、朝の4時すぎに岡山の実家に到着。少し寝てから9時すぎに母を連れ病院へ向かう。一昨日、郡山と神奈川を往復して600キロメートルを走っていたので、さすがに疲れた。5日に寝違えた首は回るようになったが、右肩が痛い。

2011年04月07日(木)
父が明日手術ということで、岡山へ
 昨日、岡山に住む父が急きょ明日手術を行うと母から連絡があった。今日の午後6時からお医者さんからの説明があるが、新幹線が止まっている状態では間に合わない。とりあえず、今日だけは埼玉の姉が行ってもらうことに。明日の手術には間に合うように、午後3時過ぎ、子どもたちを連れて車で岡山へ向け出発。地震の影響で小学校の開始が4月11日になったので、子どもたちを連れていけるので良かった。
大地震後、最大の余震
 北陸道で福井県を走っていると、車のテレビから緊急地震速報。速報では大きな地震ということで、郡山の家、大学の研究室の状況が心配になる。

2011年04月06日(水)
東京タワーはピンボケ
 今回の大地震で東京タワーの塔の先が曲がったそうだ。神奈川から福島へ向かう途中、首都高速から東京タワーが見えた。妻に写真を頼んだが、走行中だったので、残念ながらピンボケ。東京タワーの状態は確認できず。

東京タワー

家族で郡山へ
 大磯のホテルをチェックアウト後、昼に東京で旧友に会い共に食事。その後、郡山へ向かう。東北道では、埼玉の消防車、広島、山口などのパトカーの車列とすれ違う。午後7時前に無事に到着。藤沢でガソリンを入れたが、単価は郡山よりは安かった。郡山では、4号線沿いのダイユーエイト近くのガソリンスタンドでレギュラーガソリンの表示価格は、1リットル当たり153円(下右)。先週の156円よりは安くなったが、まだまだ、高い。

藤沢のガソリンスタンド

郡山のガソリンスタンド

2011年04月05日(火)
子どもたちを迎えに神奈川へ
 子どもたちと妻を迎えに、車で神奈川へ。首を寝違えたらしく、首が痛くて回らない。行く前は日帰りで戻ってこようかと考えていたが、当日、大磯のホテルが安く予約できたので、そこで一泊することに。横浜の友人宅で夕食をごちそうになった後、東名高速で大磯へ。ホテルでは、ある企業の新入社員研修が開催中で、露天風呂がイモ洗い状態の混雑。この理由で激安だったのか、震災の影響かわからないが、安い割に子どもたちには喜んだもらえたので良かった。

2011年04月04日(月)
環境放射能の変化
 郡山市とその近くの市で測定された環境放射能のグラフを更新(下の図1〜3)。例によって、縦軸を対数軸にして図を考察する。私は郡山市民だが、郡山のデータは見にくいので、郡山市以外のデータを図3に描いた。
 下の図からわかることは、環境放射能の値は減少傾向にあるということ。しかし、少し気になることがある。それは、減少する速さがだんだんと遅くなっていること。放射性物質であるヨウ素-131の半減期は8日(つまり、8日で数値が半分になる)だが、最近の減少傾向はこの半減期での減少よりも遅くなっているように見える。なぜか?私には、本当の理由は分からない。
 もしかすると、ヨウ素-131とは別の放射性物質であるセシウム-137の影響なのか?と考えたりする。しかし、セシウム-137の半減期は30年。減少の速さは半減期30年に比べればずいぶん早い。地中にしみ込んだり、植物にとりこまれる分を考えるとこうなるのか?
 環境放射能の測定値には、雨や風の影響があまりみられないというのは、私自身が身をもって感じていることだ。今回追加した部分(3/30以降のデータ)は、ごく微量の新たな放射性物質の流入を反映しているのだろうか。しかし、図3を見ると、距離の離れた福島、白河、会津若松のに見られる傾きは、最近でもほぼ同じである。汚染された空気の流入量はもっとばらつくと思われるので、新たな流入というのも考え辛い気がする。
 地表の放射性物質の成分の割合や、空気のサンプルに含まれる放射性物質の濃度がわかれば、ヒントになると思う。誰かわかる人がいれば教えてほしいし、なにより、原発を何とかしてほしい。

図1:環境放射能の測定値の変化

図2:図1の縦軸を対数軸にしたもの

図3:図2から郡山市を除いたもの

電源トラブル発生
 研究室で作業をしていると、突然、無停電装置から「ピー、ピー、・・・」と警報が (無停電装置とは、停電した時にパソコンの電源が切れるのを防ぐための装置)。つまり、研究室で、突然の停電発生。ブレーカーの位置を知っている職員に、ブレーカーを上げてもらうが、ブレーカーのレバーは戻らず、電源が復旧できない。
 次に、電気の係りの人に電源を見てもらうことに。すぐに直るかと思ったがが、テスターを当ててみたり、分電盤をみたり、コンセントの中の配線をみたりと、なかなか復旧しない。それでも、数十分の作業の後、電源が使えるように。係りの人は地震の影響で、コンセント内の配線がショートしたと言っていた。こんなところにも地震の影響があるのかと驚いた。

2011年04月03日(日)
がんの発生率をうんぬんする占い師がNHKに登場
 これは、昨日の夜のNHKのテレビ番組を見た感想。その番組に、どこかの大学か、研究所の先生が出てきて、「東京のがん発生率が、0.02%上昇」とか「福島県某所では、0.1%上昇」とか言っていた。なんでも、その先生は、その値を計算するソフトを作ったとか。
 こんなことをテレビで発言して、何の意味があるのか。むなしく、腹立たしい。理由は、
(1) 値を具体的に計算できるだけの知識の蓄積が、人類にはないこと [1]、
(2) 予想したガンの発生率の正しさを、実証する方法がないこと、
(3) リスク分析は、「脅し」の道具ではなく、「改善」のための指標であること、
の3つ。
 私が、このテレビに出ていた先生を「占い師」と呼ぶ理由は、上の(2)にある。予測や予言が正しいかどうかを実験や追跡調査で確かめられるから科学なのであって、正しさを確かめるすべがないものは、占いやオカルトだ。
 人がガンになりやすくなる原因はいろいろ知られている。タバコを吸ったり、塩辛いものを食べすぎたり、運動しなかったりと、いろいろある。このような要因とガンの発生率の関係はある程度調べられているので、インターネットで検索するだけでも知識を見つけられるだろう。このとき、ガンの発生率は、たくさんの人を調べた結果からわかった経験的な事実。たとえば、煙草を吸う人と吸わない人を比べたら、前者が1.5倍程度ガンになりやすいとか。
 ガンには多くの要因がある中で、今回の放射線の影響で発生率が0.02%上昇。ということは、1.0004倍程度ガンになる可能性が高まるということ。不確定な要素が多い人間生活を対象に、こんな小さな値を確かめる方法はない。(専門的には、煙草の影響は経験的確率、放射線の影響は主観的確率に基づいていて、別物。)
 また、最近我々があびている放射線の量とガンの発生率の関係には、頼れる実験事実があるわけではない。放射線量とガンの発生率の関係は、日本で原爆の被害にあった人々を調べることでわかっていることがある。しかし、我々は原爆のように短時間に放射線をあびたわけではない。しかも、10ミリシーベルト以下の被ばくの影響を明らかにするだけの十分なデータがない。また、内部被ばく、数か月にわたる被ばくの影響についてもデータが足りない。
 注意してほしいことは、私はガンの発生率が上昇しないとは言っていないということ (悪い影響がない可能性もあるが)。リスクはあるかもしれない。リスクがあるかもしれないのだから、リスクを減らす方策を示してほしいということだ。リスクが低いから、気にするなというのではない。
 たとえば、リスク分析では、明日の24時間に、原子力発電所の電源がすべて使えなくなる確率が0.000000001などと推測する。この値も実証は不可能。ある人がこの危険性を知ったら、「事故の可能性があるのだから、直ちに原発の運転を停止しろ」というかもしれない。あるいは、「こんな低い可能性は、無視していい」というかもしれない。原発を止めることができない事情があるなら、この危険性を、さらに小さくする方法を考え、それを実行する努力をすべきなのだ。人の想像で決める主観的確率を使ったリスク分析とは、状況の改善のための目安にすぎない。放射線のリスク推定の方法[2]というのは、これと同様の使い方を想定したものだと私は思う。
 NHKの番組のように、根拠の乏しいガンの発生率の上昇を視聴者に伝えることが、どれだけ多くの人々の恐怖心をあおり、不幸にしているのかわかっているのだろうか。占い師が吐いた呪いの呪文が、視聴者にストレスを与え、寿命を縮める危険性すら感じる。
[1] Brenner & Raabe: Topics Under Debate - Is the Linear-No-Threshold Hypothesis Appropriate for Use in Radiation Protection? Radiation Protection Dosimetry. 97 (2001) 279-285.
[2] Health Risks from Exposure to Low Levels of Ionizing Radiation: BEIR VII Phase 2 (2006).

夜間の暴風
 昨日の夜は、激しい風が吹いていた。「ヒューヒュー」と風音が激しく鳴り、ときどき、カラン、カラン、カラッと何かが飛ばされているような音も。うるさすぎて寝ている途中で目が覚め、良く眠れなかった。アメダスの情報では、本日午前5時に風速10 m/秒をこえる風が観測されている。風向きは会津若松から郡山市へ向かう方向。ときどき、軽い余震も重なり床がゆれるので、風でマンションが倒れるのではないかと心配になった。もちろん、そんな心配はいらなかったが。この風で放射性物質を吹きとばしてくれればいいのにと思うが、福島県から発表される環境放射能の測定値に風の影響はまったく感じられない。
 こんな風は郡山ではめずらしくない。地震後に、窓や屋根の破損を、ブルーシートで応急処置をしただけの家では、暴風や暴風雨の被害もさらに重なるのではないだろうか。また、剥がれかけたタイルや看板などの落下も心配だ。

2011年04月02日(土)
水、トイレットペーパーなど十分な供給量
 研究室にある湯沸かしポットを洗浄するため、クエン酸を買いにケーヨーデイツー安積店へ。ケーヨーデイツーの脇を通る線路をまたぐ道路は通行止めのまま。さらにその脇にあるビル(下の写真)は壁の大部分がはがれ落ち、内部が丸見えの状態が続いている。
 昨日、ダイユーエイト郡山安積店へ買い物に行ったが、天井にエアコンがあった場所には穴があき、煙をさえぎるガラスの仕切りも割れてなくなっていた。他にも、天井にはかなりの損傷が見られた。それに比べ、ケーヨーデイツーの天井の損傷はわずか。ケーヨーデイツーでは、水、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、ガソリンの携行缶など、地震後に、一時、入手が困難だった商品が大量に陳列してあった。
 店の中を見て回ると、地震速報受信機、小型消火器、家具の転倒防止器具が安く売られている。あの大地震を経験した後では、このような商品を買っておけばよかったと感じる。買おうかと思ったが、次の出番はしばらくないだろうと考え直し、手に取った商品を棚に戻す。
 今回の地震の前には、災害時の対策はまったくしていなかった。今回は運良く、準備なしでも生活することができた。とはいえ、原発の問題はまだまだ予断を許さないので、貴重品の整理など、最低限の準備をしておこうと思う。

今日の図書館1

今日の図書館2

駅前大通り

バスターミナル

在来線の復旧状況

2011年04月01日(金)
地震から3週間、研究室の片づけ終了
 大地震を研究室で経験してから3週間が経過。最初の1週間は避難所での生活。そのあとは、自宅や大学の研究室の片づけを続ける日々。余震もずいぶんと少なくなり、気づくゆれは日に数回程度。
 今日、ゴミ屋敷のような研究室の片づけが、やっとおわった。大量のごみを捨てたので、部屋の中はずいぶん広く感じる。あとは、壊れた棚を業者に引き取ってもらうだけ。部屋の配置換えもしたので、気持ちも新たに新年度を迎えられる。しかし、家族が妻の実家へ行った後に、一人暮らしを続けているので、自宅は一時より散らかった印象が。

遮断機のバーが外されたままの踏切

安積一丁目から線路をまたぐ道路の通行止め

さくら通りの回転ずし店
看板が下ろされる

市役所

ガソリンスタンドが平常化

研究棟内部
この程度はまったく問題なし

【2011年03月31日までの記事へはこちらから】
【2011年05月01日からの記事へはこちらから】
   
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